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2023.01.27

Story2-1:真珠養殖・その誕生の歴史

日本で生まれ、世界中の女性の胸元を彩る”和珠”

1893年 世界初の半円真珠養殖に成功
伊勢の鳥羽に生まれ育ち、うどん屋を代々の生業としていた御木本幸吉翁。
彼はかねてより海女によって採取されてきた天然真珠に興味を持ち、何とかこれを養殖で作れないものかと思案。
時の東大教授・箕作氏よりのアドバイスを受け、試行錯誤を繰り返した後、ついに1893年、鳥羽・相島にてアコヤ貝による半円真珠の養殖に成功しました。

1907年 真円真珠の養殖技術が確立される
以後、完全に球体に近い真円真珠の養殖に向けてさまざまな努力が繰り広げられましたが、結局は幸吉翁の娘婿にあたる西川藤吉がその技術を確立。
アコヤ貝の外套膜の一部を小さく切り取って別のアコヤ貝の体内に核とともに挿入する方法から、「ピース法」と名づけられました。

明治~大正 地まき養殖から効率の高い垂下養殖へ
真珠養殖が始まった当初、核を挿入した貝は再び自然のままに海底に戻して養殖されていました。
ところが、この方法だと貝の天敵であるタコやヒトデ、さらには赤潮などによる被害をたちどころに被るという問題点が発覚。
そこで、明治末期~大正時代にかけて、そうした被害に対処するべく、養生かごをいかだにつるして養殖する「垂下養殖」が開発されました。
現在の真珠養殖場の風物詩ともいえる、いかだの並ぶ風景は、この時代に生まれたものなのです。

PCKでは
「真珠の街としての神戸を世界へ」
という想いと共に、神戸を盛り上げる活動を行なっております。
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